長戸大幸 イズム’s blog

ビーイングミュージシャンに関する記事です。

ZARD ④

ZARDの1993年の上半期を振り返ると、1月27日に6thシングル「負けないで」、4月21日に7thシングル「君がいない」、5月19日に8thシングル「揺れる想い」をリリース、また6月9日にリリースされたZYYG,REV,ZARD&WANDS featuring 長嶋茂雄のシングル「果てしない夢を」に参加しました。いずれも大ヒットし、満を持して4枚目のアルバム『揺れる想い』がリリースされました。ZARDのアルバムとしては初のオリコン週間初登場1位を記録し、通算でも5回1位を獲得、累計で200万枚以上を売り上げ、ZARDの代表的なオリジナル・アルバムの一つになりました。結果的にZARDは93年のアーティスト別の年間売り上げでも1位を記録し、長戸大幸プロデューサー率いるビーイングを代表するアーティストの一人になりました。

 

このアルバムには3枚目のアルバム『HOLD ME』発売以降にリリースされた「In my arms tonight」(シングル表記は「IN MY ARMS TONIGHT」)、「負けないで」、「揺れる想い」、そしてシングルとは別バージョンの「君がいない(B-version)」が収録されています。アルバム用の楽曲もバラエティに富んでいますが、どれもロックのバンド・サウンドになっています。これは長戸大幸プロデュースを語る上で非常に重要です。

 

1曲ずつ取り上げていきますと、まず2曲目に収録された「Season」。ピアノのイントロがキャッチーでこのフレーズを聴いただけでワクワクさせてくれます。テンポもギターやドラムの入り方もZARDらしく、アルバム全体の期待を煽るサウンドです。「あなたを好きだけど」は演奏のキメと爽やかなギターで始まり、こちらもピアノがバッキング等で重要な役目を果たしています。「Listen to me」はモータウン・サウンドのリズムパターンになっており、ドラムのハネたビートに派手なコーラスが特徴的(例えばサビはハイ・パートが大黒摩季さん、ロー・パートが川島だりあさん、全体を覆う爽やかなWoo〜というコーラスは栗林誠一郎さん)です。

 

「You and me(and…)」はピアノがイントロで叙情的なフレーズを奏で、1番はアコースティック・ギターとピアノ中心の演奏、2番からいわゆるバンド・インというスタイルになっています。間奏はアコースティック・ギター。「I want you」はイントロでギターがカッティングをしていて、やはりピアノがロック的なアプローチでメロディを担当します。マイナー・キーのアップテンポのロック曲。「二人の夏」はイントロこそギターと栗林さんのコーラスですが、歌に入ってからは1番サビの手前までピアノだけの伴奏で歌っていく、切ない曲。

こうしてアルバムを改めて聴いてみると、「あなたを好きだけど」のように間奏でサックスになる曲もありますが、ほぼ全曲がドラム、ベース、ギター(エレキ&アコギ)、ピアノ、コーラスという構成、すなわちロックバンド・サウンドだという事です。またピアノが随所で特徴的な役割を果たしていて、コーラスのアレンジも多岐に渡っており、バンド・サウンドに色を添えています。またドラムのキックはハードな音色で、スネア(主に2拍目、4拍目に入っている小太鼓に該当する楽器)のタイミングを通常よりも重くしており、それは後述する歌い方にも通じています。

 

坂井泉水さんの歌詞はごく一部の例外を除いてほぼ全て曲先(先に作曲家のデモ〜メロディ〜があり、そこに歌詞を書いていくスタイル)ですが、このアルバムでもメロディと歌詞の一体感が非常に良いです。ほんの一例を上げてみても“ポプラの並木をくすぐる”“切なくて”(「Season」)、“あなたを好きだけど”(「あなたを好きだけど」)、“街路樹の下で”“もう出来ないわ 演じられない”(「You and me(and…)」)“偶然に見かけたの”(「二人の夏」)等、どの曲も、特に歌い出しとサビ頭のメロディに対する坂井さんの言葉の選び方が優れている事に気づきます。

また歌い方に関しても、特にこのアルバムで顕著になっていたものがあります。それはリズムに対してゆったりと重めのタイミングで歌う、という事です。例えば「You and me(and…)」のサビ頭の「も・お・で」という所、「Season」のサビ頭の「せ・つ・な」、そしてそこから「く」「て」に向かう所等、これでもかと言わんばかりに溜めて歌っています。ドラムのスネアは前述の通り、通常よりもタイミングが後ろになっているのですが、坂井さんの歌はそれ以上に後ろのタイミングになっている事も多いです。この歌い方によって歌詞に対する説得力が非常に強化され、ZARDの[音楽]は坂井さんの[歌声]によって[言葉]としても聴いた人の心に深く残るわけです。

 

ZARDはアルバム『揺れる想い』の後に9枚目のシングル「もう少し あと少し…」を9月4日にリリースしました。サウンド面では、イントロのピアノのフレーズが曲全体の印象を決定付けていると言っても過言ではないでしょう。ピアノはAメロに入ってからもさりげないフレーズを奏でていますが、ZARDのピアノらしさに満ちあふれています。そしてやはりドラムは曲調の割にはヘビーでハードな音色になっています。この曲も前述したZARDのバンド・サウンドを継承しています。しかし、少し変化も出て来ています。それは坂井さんの歌声です。アルバム『揺れる想い』の歌声に比べると、さらに艶やかで、出だしの低い所も豊かな表情になっている事が分かります。このシングルは大ヒットアルバムの後にも関わらず100万枚近くを売り上げ、歴代シングルの中でも6番目の記録を残しています。

11月3日には11枚目のシングル「きっと忘れない」をリリースしました。前作の僅か2ヶ月後の発売でしたが、初登場1位を記録、歴代シングルの中でも5番目の記録を残し、ZARDが多くの人に愛されて支持されるアーティストになった事を証明しました。【ZARD Film of 7th Memorial〜君に逢いたくなったら〜】でもご説明しましたように、サビ頭の「き・っ・と」の「っ」は上のC#なのですが、そこに敢えて歌いづらく喉の絞まりやすい「っ」を持ってきて、それを見事に響かせて歌っています。また歌い方も全体的に非常にゆったりしている事に気づかされます。

ZARDの93年は、人気はもちろんのこと、その音楽性、坂井さんの歌詞、歌声においても一つのスタイルを確立させました。そしてそこに留まらずに、ZARD・坂井さんはスタッフと共に、94年にリリースされるアルバム、シングルの作品作りに邁進していました。またいずれご案内致しましょう。お楽しみに。

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ZARD ③

1992年8月にリリースされたZARDの4thシングル「眠れない夜を抱いて」はオリコン初登場18位にチャート・イン、そして1ヶ月後の9月にリリースされた3rd アルバム『HOLD ME』は初登場2位を記録し、「眠れない夜を抱いて」はリリース後7週目には8位まで上昇、『HOLD ME』は翌93年にはミリオンを達成しました。ZARDはその93年1月27日に6thシングル「負けないで」をリリース、初登場2位にランク・インして最終的には160万枚以上売れて、自身の最大のヒット曲になりました。

この年にZARDは合計で5枚のシングル、1枚のアルバム(『揺れる想い』は通算4枚目のアルバムでオリコン・チャート年間でも1位という評価を得ました)、そしてユニット企画のシングル(ZYYG、REV、ZARD&WANDS featuring 長嶋茂雄「果てしない夢を」)にも参加する等、沢山のCDをリリースしました。果たしてどんな1年だったのでしょうか? リリースした作品を2回に分けて取り上げながら改めて振り返ってみたいと思います。

「負けないで」を2月5日にテレビ朝日系音楽番組[ミュージックステーション]で披露したのを最後に、ZARDは音楽番組に出演して歌うのを止めました。そして坂井泉水さんが望んだように、長戸大幸プロデューサーの下、坂井さんは今まで以上に音楽制作に邁進していきました。スタッフとデモを選び、アレンジを進め、歌詞を書いて、歌を歌い、ミックスをしていく、という音楽制作を堪能していた、という表現が相応しいかもしれません。「負けないで」に関してはこの連載コーナーの第4回目で既に取り上げていますように、坂井さんは何度も歌詞を書き直してレコーディングをしており、その手書きの歌詞はZARDを特集したテレビ番組やZARD展等でも展示していたので、ご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんね。

4月21日にリリースされた7thシングル「君がいない」ですが、大ヒットした「負けないで」の後であるにも関わらず100万枚近くまで売れて、人気曲になりました。この曲はシングルとアルバムでバージョンが違います。シングルのキーはCですが、アルバム制作する際に、坂井さんがもっと豊かに歌を表現出来るように、という指示が長戸プロデューサーから有り、テンポとアレンジはそのままでキーをBにしました。聴き比べてみるとアルバムに収録されたB-versionの坂井さんは、シングルに比べて若干ゆったりめに歌っている事が分かります。
またコーラスはシングルの方は大黒摩季さんがやっていますが、B-versionは全て坂井さん自身がやっており、リード・ヴォーカルにきっちり寄り添うハーモニーになっています。サビの“何もかも”の“に”が一番高い音なのですが、コーラスは3度上のハーモニーなので、坂井さんは地声でEまで出している事になります。デビュー・シングルの「Good-bye My Loneliness」のサビの“そばにいて”の“て”(この部分を1週間歌い続けました)がCという事を考えると、坂井さんはデビューの2年後には楽に2音高い所まで歌えるようになっており、著しい成長を感じられます。

1ヶ月後の5月19日にリリースされた8thシングルは「揺れる想い」。Aメロのコード進行はあまり注目されていませんが、実はベースラインがド→シ→ラ→ソ→と下がっていくコード進行になっています。これは今から330年ほど前にパッヘルベル氏が作曲したカノン(パッヘルベルのカノン)と同じタイプのモノで、前回このコーナーで紹介した「眠れない夜を抱いて」や「負けないで」のサビも同じ進行になっています。
「揺れる想い」は以前このコーナーでも紹介しましたように、ポカリスエットのCMソングで、坂井さんはポカリを飲んだ時の描写を“体じゅう感じて”というフレーズで表現しました。歌詞をハメるにあたり、この言葉をサビの出だしなのか、途中なのか、果たしてどこに入れたら一番メロディと合致するか、という事を試していました。
サビのコード進行は(他の曲と比較するためにキーをCに移調すると)C→E7→F→Cです。サビ2つ目のコードは3度マイナー(この場合Em)ではなくメジャー(E)、また4つ目のコードはトニックのCに戻るという、ベタで格好よくなりにくいコード進行なのですが、長戸プロデューサーはこの曲をZARDのシングルに選曲し、オリコン・チャートでZARD初の初登場1位に登場して2週連続1位を記録、120万枚以上を売り上げ、記憶にも残る作品になりました。
このサビのコード進行と同じタイプの代表例にサザンオールスターズTSUNAMI」(2000年リリース)があります。ちなみに「TSUNAMI」のサビの出だしのメロディはソドレファーミミーですが、これは91年リリースのZARD「Good-bye My Loneliness」と同じです。多くの方の琴線に触れメロディというものはどこか共通した面があり、ヒット曲というのはそれを脈々と受け継いで次世代に渡している事に、改めて気づかされます。

またレコーディングで先行して進めていたのが、ZYYG、REV、ZARD&WANDS feat.長嶋茂雄の「果てしない夢を」(日本テレビ系列[劇空間プロ野球93]のテーマ・ソング)でした。出口雅之さん(ex.REV)が作曲し、上杉昇さん(ex.WANDS)と坂井さんが作詞したこの作品は、リード・ヴォーカルに上杉さん、坂井さん、出口さん、栗林誠一郎さんと高山征輝さん(共にex.ZYYG。栗林さんは89年にソロ・デビューしていましたが、ZYYGはこの年にデビューしたばかりでした)、さらに長嶋茂雄さん(この年、読売巨人の監督として再就任されました)をゲスト・ヴォーカルに迎えました。
レコーディングでは、事前に歌う箇所を決めて、別々にレコーディングを進めていきましたが、93年春頃の音楽制作会社ビーイングは非常に多忙で、スタジオもまだバードマンウェストが未完成の頃でしたので、この曲やC/W「雨に濡れて」は外部のスタジオでも録音していきました。6月9日にリリースされると初登場で2位にチャート・インし(その週の3位は1ヶ月前にリリースされていた「揺れる想い」、4位はやはり1ヶ月前にリリースされたZYYGのデビュー・シングル「君が欲しくてたまらない」)、結局120万枚以上の売り上げを記録、野球ファンはもちろん、多くの方に支持されました。

そしてZARDは7月10日に4thアルバム『揺れる想い』をリリースしました。次回このコーナーでは、このアルバムやその後にリリースされた作品を紹介していきます。

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ZARD ②

ZARDは1991年に3枚のシングル、2枚のアルバムをリリース、そのリリース数から想像出来るように、ZARD長戸大幸プロデューサーの下、坂井泉水さんもミュージシャンもスタッフも、スタジオでの作業に相当の時間を費やし、まさに制作を中心に進んでいきました。92年もシングル2枚、アルバム1枚と多くの作品をリリースしていますが、シングルに関しては1枚目、2枚目、3枚目のリリース間隔は各々4ヶ月強でしたが、そこから4枚目の「眠れない夜を抱いて」までは9ヶ月空いています。もちろん、長いアーティスト活動の間にはこういう事はありますが、実はこの間に、ZARDは色々試して、方向転換していったのです。さっそく当時を振り返ってみたいと思います。

前回でも取り上げたように、デビュー当時のZARDのコンセプトは“ロンドンの曇天をイメージしたような”“UKサウンドを基軸にした”“ハードなロックを彷彿とさせる”ものでした。しかし、2枚目のアルバム『もう探さない』の収録曲には演奏、アレンジはディストーション・ギター、重たいグルーヴのドラミングになっていても、メジャーなコード進行になっているため、曲全体が明るくどこまでも突き抜けて行きそうな「Forever」、サビでメジャーともマイナーともつかないコード展開のため、坂井さんの歌も切々と伝わってくる「ひとりが好き」等、少し変化の兆しも見えました。

ZARDが次のシングル候補曲としてレコーディングを始めたのは「眠れない夜を抱いて」でした。この曲はコード進行に特徴があります。Aメロの8小節はキーがBで、ベースが1小節ずつド→シ→ラ→ソ→ファ→ミ→レ→と下がっていきます。この1小節毎にベースラインが下がって行くのは2枚目のシングル「不思議ね…」と同じです。次のAダッシュの8小節はキーがDに転調(短三度上がる転調)しており、ここがこの曲の印象を決定付けていると思います。ちなみにAメロ同様にベースが1小節ずつド→シ→ラ→ソ→ファ→ミ→レ→と下がっていきます。次のBメロの8小節はキーがBmに転調(平行調)します。そしてサビでは、キーがDに転調(同主調)して、Aメロのキーに戻っているわけです。このサビでは、1小節に2拍ずつベースが一小節ずつド→シ→ラ→ソ→ファ→ミ→レ→と下がっていきますが、このベースラインが2拍ずつ下がっていくというのは6枚目のシングル「負けないで」のサビと同じです。

また、アレンジやミックス等レコーディングで何度もやり直しをして練っていきました。シンセのシーケンス・フレーズ(打ち込みで繰り返して入っている音)でカリンバというアフリカの楽器をイメージした音が、Aメロ、Aダッシュに入り、2枚目のシングル「不思議ね…」にも入っていたシンセ・ベルがさらに目立ち、91年にリリースされた楽曲に比べると、一気にポップな仕上がりになりました。ジャケットも曲に合わせて明るい柔らかなイメージの写真が使用されました。長戸大幸プロデューサーの語録に“コンセプトは決めてしまうと、その通り進めないとならない時があって、かえって足かせに成ってしまう事がある。”というのがあります。デビュー曲がオリコンランキング9位と上々のスタートを切ったZARDでしたが、コンセプトに頼り過ぎず柔軟に制作を進めた結果、坂井さんの歌声が引き立つ明るいイメージの作品になりました。4枚目のシングルとして92年8月5日にリリースされた「眠れない夜を抱いて」は、オリコン週間ランキング初登場18位、その後も売り上げを伸ばし7週目で8位にランクイン、その後のZARDを認知させるきっかけとなりました。

新しいZARDの制作内容が決まり、並行してアルバム制作も急ピッチで進みました。シングルの1ヶ月後の9月2日にリリースされた3枚目のアルバム『HOLD ME』には、明るく切ない「誰かが待ってる」、切なさに強さと優しさが加味された「サヨナラ言えなくて」「遠い日のNostargia」、明るく突き抜ける曲で人気も高い(2008年の人気投票では第一位)「あの微笑みを忘れないで」、可愛らしさも感じられる「好きなように踊りたいの」、明るく壮大なバラードの「So Together」等、前作よりもキラキラした楽曲が多くなりました。このアルバムはオリコン週間ランキングで初登場2位にランクイン、まだ大ヒット曲「負けないで」がリリースされる5ヶ月近く前の事で、その後も売り上げを伸ばし、ミリオンセラーを記録しました。
さらに5枚目のシングルとしてTUBEのギタリストの春畑道哉さん作曲の「IN MY ARMS TONIGHT」が「HOLD ME」のわずか1週間後の9月9日にリリースされました。ギターが強く切なくて、ピアノのフレーズに特徴があり、その後のZARD作品のカラーを築き上げた楽曲と言えます。アルバム直後のシングルは売り上げの数字が伸びない事が多い、と言われている中では異例の初登場11位、最高位も9位と、内容も売り上げも「眠れない夜を抱いて」と並ぶ作品になりました。

ZARDはテレビの音楽番組の出演(歌を披露する事)も決まりましたが、「眠れない夜を抱いて」で4回、「IN MY ARMS TONIGHT」で2回と、この2曲だけで92年は6回もテレビに出演しました。長戸プロデューサーの指示に“ノーメークで髪も洗い立てで何もしないで出演するように”というのがありました。テレビは顔をアップにして映しますが、そうするとファンデーションが目立ち不自然になる、という物でした。日常で他人の顔にここまで近づいて見るという事は実際には少ないから気づきにくい事でした。髪も自然のままのお陰で、照明に当たって顔までもが奇麗に光り輝きました。歌やパフォーマンスが清らかで世間にインパクトを与えました。テレビは一度に1000万人の人が観るため認知させる効果は十分でしたが、同時に失敗も許されない状況でした。徐々にバラエティー的な要素が必要になりつつあったトーク場面では、坂井さんが緊張してしまう事が多々有りました。またテレビ番組に生出演となると、例えば金曜日の番組であれば、リハーサルを会社のスタジオで火曜日にやり、水曜日から金曜日までは声をフレッシュにするためにレコーディングも中止にしました。坂井さんはもっと歌詞を書いて制作をしたいという希望がありました。こうして翌93年では「負けないで」を1回歌っただけで、それ以降は歌番組に出演して歌を披露する事はなくなりました。

一方で予定していたライヴは急遽中止になりました。体調不良でも決行する事は可能でしたが、プロデューサー曰く、ZARDの音楽を伝えるためのパフォーマンスが現状では演奏も歌も出来ていない、との事でした。しかし、これをきっかけにバンド形式にこだわらず音楽の方向性の多様化にチャレンジしたり、作曲家も編曲家もより一層メンバーに縛られずに自由に制作したり、レコーディングに時間を費やす事が出来たりと、ZARD自体はプラスの方向に向かっていきました。ZARDはこうして92年に、楽曲とビジュアルの方向が定まり、スタジオでの制作のスタイルも確定して、今も受け継がれているイメージの基礎が出来たのでした。

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ZARD ①

ZARDは1991年2月10日に1stシングルをリリースしていますから、今年でデビューして25年経った事になります。ZARDの楽曲、ヴォーカル坂井泉水さんの歌声や歌詞は、今もなお多くの人に支持されて親しまれていると言えるでしょう。エバー・グリーンなイメージもあります。代表曲として取り上げられるのは「負けないで」や「揺れる想い」等、明るい印象の曲が多いでしょう。しかしZARDの個々の作風は意外に幅広く、これがZARDだとひと言で表現出来るものでも無いと思います。それは一枚のアルバムを取り上げても色々な曲が入っていたり、活動していた時代によっても違う面を見せていたりしているからです。またZARDは歌番組に出演していないと言われる事もありますが、僅かな期間に7回も出演しています。そして2004年の[ZARD “What a beautiful Moment Tour”]での坂井さんの歌声とその立ち姿、一連のScreen Harmonyでの坂井さんのオフショット等・・・。このようにZARDというのは知れば知るほど様々な音楽性、表情を持っている事が分かります。今回はデビュー月を記念してZARDの初期の作品を紹介して、当時の作風について取り上げます。

90年秋、長戸大幸プロデューサーの下、ZARDプロジェクトが発足しました。制作するにあたり、ロック、中でもUKサウンド(イギリス系のロック)をコンセプトにするように指示がありました。グルーヴはタイトで、かつスネアが微妙に重たいタイミングを刻み、ギターは特徴的なディレイ付きのアルペジオ奏法、間奏はギターでは無くサックスにするというスタイルで、レコーディングされたのがデビュー曲[Good-bye My Loneliness]。ZARDという名前は語感がロックっぽいという事で長戸大幸プロデューサーが命名しましたが、その理由としては、ZARDという言葉は「Hazard(危険、障害物)」「Blizzard(吹雪)」「Lizard(トカゲ)」等、どちらかというと忌み嫌われるようなマイナスイメージを想起させるという物でした。プロデューサー語録に“アーティストがデビューするのに大事なのは、名前(命名)、作品、そして写真”というのがあります。どれもアーティストの第一歩として重要なファクターです。

シングルA面と共にC/W曲や1stアルバム『Good-bye My Loneliness』も並行して制作が進められました。音も見た目のイメージもいわゆる“ロンドンの曇天”みたいな感じです。ジャケット写真撮影は、スタジオバードマン3Fで行なわれました。長戸大幸プロデューサーからは、アーティスト活動の様子がよく分かるように、スタジオでレコーディングしている所にカメラがお邪魔して、そのまま撮影するようにという指示でした。当然坂井さんもカメラ目線ではなくなるわけです。服装に関しては今回の内容に最も相応しいものとして、たまたまスタッフの着ていた革ジャンが使用されました。ジャケット写真に写っているキーボードの周りには、コーヒーカップや飲料水の缶など色々雑多な物が置いてありますが、これも“臨場感を残すために片付けないで欲しい”という指示でした。またPV撮影場所もアーティストのイメージに合うよう東京湾の工場地帯(川崎市)が選ばれ、岩井俊次さんが担当しました。こうして、作品、写真、映像共にハードで鋭角的なロックのイメージに仕上がりました。

1stシングルは4週目にトップ10に入るという好調なスタートを切りました。同年3月27日にリリースされた1stアルバムもZARDの特徴を知らしめる上で十分な効果がありました。既に進行していた次の作品内容は1stを踏襲した物になりました。プロデューサーの方針は“新人アーティストが一度世の中に出て、ある程度認知された後は、浸透するまではしばらく同じ方向性で行く”という物でした。デビュー時から坂井さんの歌声は非常に声量があり、録音時に工夫をする必要がある程でしたが、制作していく過程でさらに力強さと透明感がアップしました。サウンドはアップテンポのロック・チューン「素直に言えなくて」「lonely Soldier Boy」はノイジーでさらに研ぎすまされて印象でした。歌詞は「もう探さない」や3rdシングルのC/W曲「こんなに愛しても」等、1stアルバム以上に大人っぽい世界が描かれていた曲もありました。
そして、2ndアルバム『もう探さない』には、長戸プロデューサーから手ほどきを受けた結果として、「素直に言えなくて」「いつかは…」と2曲の坂井泉水作曲作品が収録されています。「素直に言えなくて」には2つの特徴があります。まず1つ目は構成です。今のJ-POPシーンではAメロ〜A’メロ〜Bメロ〜Cメロ〜C’メロになっていますが、この曲はAメロ〜A’メロ〜Bメロ〜B’メロ〜A’’メロとなっています。これはソナタ形式といって、18世紀には音楽シーンに登場しており、クラシック音楽に多いスタイルです。そして2つ目の特徴は、コード進行です。キーはAmで、Aメロ、A’メロはそのキーで進行します。ところがBメロではいきなりFに転調します。そしてBメロの1小節目のコードがGm7なので、予定調和ではなくドキドキしながら聴く事になります。さらにB’メロではEに転調します。しかもB’メロの1小節目はF#m7なので、いきなり回転するジェットコースターみたいなスリルがあります。そしてA”メロでは何事も無かったかのようにAmに戻ります。実はこの転調の源流はLeon Russellの大ヒット曲「This Masquerade」にあります。この曲は多くのアーティストにカバーされており、The Carpentersのバージョンはお馴染みです。またGeorge Bensonが歌ったバージョンは76年にグラミー賞を受賞しており、日本では坂井泉水名義(Izumi Sakai)でカバーしたバージョンが『Royal Straight Soul Ⅲ Vol.2』(92年リリース)に収録されています。多くの方に指示されてきた曲の良い所をリスペクトしている事で、新たな作品が生まれたのです。

もう1曲の「いつかは…」は歌詞の一節“あとどれくらい 生きられるのか”というのが衝撃的ではありますが、作曲という面でも非凡な内容になっています。カンツォーネを彷彿とさせるメロディでテンポはゆっくりですが、コード進行がこちらもいい意味で期待を裏切りながら、ゆらゆらと大海に漕ぎ出した船のように進んでいきます。そして大海原の遥か彼方で漂うまま曲も終わります。

こうして2ndアルバム『もう探さない』は1stアルバムに引き続き1991年にリリース、前作を踏襲しながらも、アーティストとしての成長を見せてくれた作品となりました。しかし、次の作品をリリースするまでZARDは非常に時間を掛けています。その結果、転換とさらに大きな飛躍が訪れたのです。

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B'z

松本孝弘は、80年代前半(1983年にはBeingに在籍している。)に長戸大幸氏に才能を買われBeingに所属した後、早川めぐみ、杉本誘里、浜田麻里TM NETWORKなど多数のスタジオワークやサポートミュージシャンとして活躍。

 

稲葉浩志は、Being音楽振興会でボーカリストを目指し活動していたところに

長戸大幸氏の目にとまり、アーティストのコーラスや元BLIZARDの松川RAN敏也のソロアルバムにMr. CRAZY TIGERという覆面歌手としても活動してデビューを待っていた。

 

TM NETWORKのサポートメンバーだった松本さんが、バンドを結成しようとボーカリストを探していた時に(ビーイング創設者の)長戸大幸氏のもとにあった稲葉さんのデモ・テープを聞き衝撃を受け、稲葉さんとセッションをやることに。

 

そして松本と稲葉は、当時SOUND JOKERという事務所のビルにあった狭いスタジオでセッションをやることになる。

THE BEATLESの「LET IT BE」「OH DARLING」の2曲を演奏し意気投合。

しかしギターのアンプが壊れてしまい、その日はそれで終了。

そのまま「一緒にやろう」という言葉もなく、他のパートのメンバーを探したが見つからず、稲葉さんが「2人でいいんじゃない?」と言ったことでふたりで、B'zとしてデビューすることになった。

結成日は1988年5月20日である。
ここで長戸大幸氏からB'zが誕生した瞬間だった!

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FIELD OF VIEW

Viewは浅岡雄也さん(Vo.)、小田孝さん(G.)小橋琢人さん(Dr.)、安部潤さん(Key.)の4人で結成して、1994年2月9日にシングル「あの時の中で僕らは」でデビューしました。2枚のシングルを出した後、より良い内容にしていくために一旦リセットして、新たな方向性を探る事になりました。

まず、プロデューサーの長戸大幸さんから、浅岡さんの歌い方を再確認するよう指示がありました。元々は自然なビブラートのかかる憂いを帯びた声でしたが、もっと違う歌い方、例えば声を口腔の上に当ててまっすぐ伸ばすような発生にしたら、歌をもっと素直に届けられるのではないか、という観点から探っていきました。また色々なアーティストの歌を歌ってみて、どのタイプが彼に似合うか、毎日プリプロダクションを続けました。これらはスポーツに例えるとピッチャーが投球フォームを改造していくみたいな事です。しかしViewとして一度世の中に出ているので、それ以上の歌を作って出していくために、切り替えと変革が必要になってきます。でもこの練習は、どういう曲が浅岡さんの声に相応しい歌になるのかを探る意味合いもあり、非常に有意義でした。
イギリスらしさを追求していく事になり、バンド名も検討した結果、プロデューサーによりFIELD OF VIEWというバンド名に改められました。浅岡さんは元々ELO、XTC等イギリスのバンドに傾倒していた事もあり、さっそくメンバーは真摯に音楽に取り組みました。衣装もイギリスのバンドを継承すべく、スーツに決定しました。ビートルズのようにあえてネクタイを緩めたスタイル(ビートルズは不良少年の象徴でした)です。

そして楽曲提供ですが、プロデューサーがFIELD OF VIEW用に選んだ曲は織田哲郎さんのあるデモでした。とても良いメロディでしたが、サビのは入り口があまり高くない音域で始まるためか、僕はこのデモを最初に聴いた時に、果たして盛り上がる曲になるのかな?という不安を抱きました。しかし、ZARD坂井泉水さんが書いてきた歌詞は秀逸でした。サビのメロディが強すぎないからこそ、強いメッセージや言葉を伝えられる歌になったわけです。アレンジは葉山たけしさん。イギリスの曇天に荒野が広がっているかのようなイントロで、チューブラベルとホルンの音色が印象的です。歌の録音は、上記に紹介したように発声を確認しながらの作業でしたが、完成した時はまさに日進月歩を実感出来ました。コーラスは坂井さん始め、生沢佑一さん、大黒摩季さん、川島だりあさん、宇徳敬子さんが参加して、曲がさらにパワー・アップしました。こうして「君がいたから」が完成し大ヒット作品になり、FIELD OF VIEWは多くの方に支持されるバンドになりました。

僕は数年後改めて歌詞を見ながらじっくりと聴いて、驚きました。それは曲が完成した時よりも、この曲をもっと深く理解出来ていたからです。そして今はこの歌詞を読む度に、色々な角度から感じられるようになりました。いわゆる名作と呼ばれている小説は、学生時代に読んだままになっているケースも多々ありますが、例えば10年に一度位のペースでいいから大人になってからも時々読むと良い、と聞いた事があります。若い時に気付かなかった事を発見し、理解の深さや印象はどんどん変化していくからです。僕は夏目漱石の[坊ちゃん]で実践し実感していましたが、「君がいたから」もまさに同じ感覚で味わう事が出来ました。FIELD OF VIEWは惜しくも2002年12月に解散しましたが、上記の4人と途中から加入した新津健二さん(B.)も含め、皆さん音楽の世界で活動を続けられています。そして「君がいたから」は今も心に残る曲として光り輝いていると思います。もしも機会がありましたら、是非お聴き頂き、歌詞をじっくり読んでみて下さい。今まで気づかなかった新たな発見があるかもしれません。

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T-BOLAN

長戸大幸プロデューサーは87年にTUBEの4人を中心に渚のオールスターズをデビューさせました。89年、渚のオールスターズは3枚目のアルバムをリリース、そこに在籍していたメンバーのうち、栗林誠一郎さんは同年に、近藤房之助さんと増崎孝司さんは翌90年に各々ソロデビューを果たし(ちなみに増崎さんがリーダーを務めるDIMENSIONは92年)、坪倉唯子さんも90年に同じレーベルに移籍してアルバムをリリースしました。平行して進めていたプロジェクト、B.B.クィーンズのデビュー・シングル「おどるポンポコリン」が大ヒットして、翌91年、長戸大幸プロデューサーはZARDMi-KeT-BOLANWANDSなど様々なバンドやプロジェクトをデビューさせていきました。

T-BOLANは、91年12月18日にリリースされた2枚目のシングル「離したくはない」が、91年12月30日〜92年11月30日まで11ヶ月に渡りオリコンチャートの100位以内にランク・インし続けるロングランのヒットで、最高位は15位まで上昇、50万枚を超える大ヒットしました。彼らはこの曲を制作&リリースした事で、世の中に広く認知されました。「離したくはない」は91年10月から放送開始した、おんなの企業サスペンス関西テレビ・フジテレビ系ドラマ[ホテルウーマン]の挿入歌として、ドラマの良いシーンに使用されており、シングル発売前からすでに評判が良かったです。そしてシングルのリリースされる1ヶ月前の11月21日、[ホテルウーマン]のサウンド・トラック盤がリリースされ、この曲も収録されました。

ドラマ[ホテルウーマン]は主題歌(B’z「ALONE」)、オープニング・テーマ曲(WANDS「寂しさは秋の色」)以外にも挿入歌が5曲もありました。これは長戸プロデューサーが番組側に持ち込んだ企画でした。この合計7曲を一枚に収めたのがサウンド・トラック盤です。挿入歌の内訳ですが、前述の栗林さんの「Good-bye to you」、B.B.クィーンズから分家したMi-Ke宇徳敬子さんの「きれいだと言ってくれた」、T-BOLANの「離したくはない」、大黒摩季さんの「Stay」(ちなみにこれは彼女のシングル・デビューの半年前)、生沢佑一さんの「Hard to Say Good-bye」(生沢さんは翌92年に結成されたユニットTWINZERにメインで参加、2枚目シングル「OH SHINY DAY」は大ヒットしました。ちなみに宇徳さん、WANDS上杉昇さんがコーラスで参加していました)。このアルバムから、WANDSがデビューし、また大黒摩季さん、生沢佑一さんが翌年シングルでデビューしました。そしてT-BOLAN宇徳さんみたいにこのアルバムがきっかけでブレイクしたアーティストも居ました。

T-BOLANは第二回BAD AUDITION(1987年)で認められてビーイングで活動を開始してから、シングル「悲しみが痛いよ」でメジャー・デビューするまでに3年半以上かかった。当初歌詞のみの担当だった森友嵐士さんは作曲について長戸プロデューサーから学び、デモ制作を開始しましたが、最初にプロデューサーから絶賛されたデモが「離したくはない」でした。この曲はベースラインがド、シ、ラ、ソ、ファ(以下の楽曲もハ長調で記します)と下がっていく特徴をもっています。ちなみに、このコード進行でド〜レまで順番に下がっていくものを大逆循環と言い、最初に有名になったのは、1680年頃にパッヘルベル氏の作曲した「カノン」です。このコーナーで取り上げた楽曲ではZARD「負けないで」のサビ、「心を開いて」のAメロ等があり、他にも岡本真夜さんの「TOMORROW」、Mr.Childrenの「終わりなき旅」、松任谷由実さんの「守ってあげたい」、大塚愛さんの「さくらんぼ」、赤い鳥の「翼をください」等、実に沢山のヒット曲が、大逆循環を用いています。

「離したくはない」同様、T-BOLANの最大のヒット曲「Bye For Now」(6枚目シングル/ミリオン・セラー)も一部このコードを使っています。そしてこの「Bye For Now」にはさらにもう一つの特徴があります。それはサビの1小節目の出だしの最初のメロディをコードの構成音に無い音を使う、という物です。キーがC(ハ長調)だとするとド、ミ、ソ(1度、3度、5度)が構成和音です。小学校の時に「起立」という号令で立ち上がる時の和音です。「Bye For Now」のサビの出だしのコードはハ長調で考えるとCなのですが、出だし「素敵な別れさ〜」の最初の「す」の音は、ドでもミでもソでもなく、ラ(6度、ドから数えて6番目の音)で始まっています。コードに無い音で始まる事によって、メロディが立って曲が印象深くなります。

森友さんは他にもこれと同じ系統の手法で作曲したヒット曲を生み出しています。それは「刹那さを消せやしない」(9枚目シングル)です。この曲もキーをC(ハ長調)で説明しますと、サビの出だしのコードはCですが、サビ1小節目の最初のメロディはド、ミ、ソいずれでもなく、レが使われています(1番の歌詞で言うと“かわらぬ”の“ぬ”がサビの1小節目の最初の音)。

T-BOLANというと、やはり森友さんの歌い方に焦点が行きがちですが、実はメロディが際立っていたからこそ、歌唱法もより効果的だったのだと思います。近日中にそのあたりの事にも触れたいと思います。

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